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尺八コラム 限界突破!

虎月記 2014/10/29

 寅年でもないのに、今年は虎に良く出会う。その虎は、竹林を震わせるような見事な咆哮を発してくれる。
 運よく4~5本ほど虎月の竹に連続して触れる機会を得た。その貴重な経験から、虎月の竹の特徴を思うままに書いてみたいと思う。

 林虎月(ハヤシコゲツ、明治36年頃没)、本業は貸物屋。寡黙、痩せ型の長身で目玉が途方もなく大きかったという。
 彼は2代目俣野真龍(マタノシンリョウ、製管師)の弟子で、その製管の冴えもあって、早くから樋口対山(ヒグチタイザン、京都明暗寺35世看首、明暗対山)らに重用され、古典本曲向きの製管師として人気を博していた。ただ、非常に経済的に苦しく、樋口対山をはじめ尺八家らに助けられていたともいう。人気があったのは、技術もさることながら経済的援助の名目も少なからずあっただろう(これは山口四郎に対する当時の門人たちの行動と共通する)。
 兄弟弟子の伊藤虎眼(イトウコガン)がどちらかというと地塗り尺八へ製管の活路を見出そうとしていったのに対し、頑なに地無し尺八とその音色に重きを置き続け極めたからこそ、名製管師と称えられている由縁でもあろう。谷北無竹曰く、虎月は最初は鳴らないが吹き込むたびに良く鳴るようになり面白い、虎眼は最初から同じように鳴って変化がない、だそう。
 また、尺八を単なる楽器として捉えるだけでなく、美術品としての価値を高める為に蒔絵を施したものが多く残っているのも特徴的である。代表的な名管(谷北無竹曰く)として、樋口対山が吹いていたという6節の太管「銘 電(いなずま)」(これは対山が名古屋からの帰路に電車に置き忘れて紛失したという)、浦本浙潮の2尺1寸管「銘 的發(東福寺敬沖禅師筆、※)」(現 浜松楽器博物館蔵)、1尺8寸の対管「銘 松風(建仁寺黙雷禅師筆)、我友(わがとも、建仁寺黙雷禅師筆)」など。

※敬沖禅師は樋口対山に琴古流の荒木竹翁(2代古童)を紹介した人物でもある。そういった点からも、非常に歴史的価値のある一管といってよいかもしれない。

 その虎月の尺八のもっとも顕著な外見的特徴は、なんと言っても使用している竹材の”太さ”である。現代管の平均的な首周りの寸法(歌口下の周囲)が11cm前後であるのに対して、虎月作の尺八は「ちょっと細身」と思われるものでも11.5cm以上の太さがあり、現代管と虎月管の二つを並べてみると圧倒的な存在感を示す(もちろん、「2尺1寸 銘 虫の音」のようにやや細身の竹材を使用したものもあるが)。
 昭和初期の都山流では太めの尺八が好まれ、今日でも「尺八=太い竹」という印象が残っているが、もしかしたらこの虎月の竹の印象が影響していたのかもしれない(当時は虚無僧行脚が多く見られ、関西地方を中心に虎月が広まっていたことなどから見る機会があり、尺八を始めたいと思う人にとって、多少の影響はあったと考えられる)。
 竹材を太くするメリットは、管内口径を広くすることができ、音を良く響かせることができるという点である。ただし、単に竹を太くするだけでは、音色は良くなっても音量がぼやけてしまい、音程が低くなるといったデメリットもある。

 もう一つ、指孔の位置も他の尺八とは違った特徴を示している。通常、地無し尺八を製作する場合には、1孔~4孔の間隔が十割り(管長の10%間隔)や九半割り(管長の9.5%間隔、ただし歌口からの計算。管尻からでは10.5%になる。※)といった古式に則った方法を用いて割り出すものだが、虎月管の場合には少し違った孔割りになっている。
 一見すると1孔~4孔は10%間隔なので、十割り製管のように感じてしまうのだが、管尻~1孔までの距離が全く異なる。通常の十割りの管尻~1孔までの距離が1尺8寸管の場合、約12cmにたいして、虎月は約12.5cmとなっている(あくまでも管長に対する割り出しであるのでこの通りではない)。その結果、1~5孔までの全ての指孔が結果的に約0.5cmも上方へずれているということになるのだ。この0.5cmのズレは調律という面から見れば計り知れない影響を与える。
 つまり、他の地無し尺八や現代の製管の常識から考えれば、とんでもなく指孔の位置が高いのである。もしも、現代管に虎月の孔割りを行なったとしたならば、筒音がDであっても、1孔はFではなくF♯のやや低めのような調子ハズレの音になってしまうだろう。他の指孔も同様である。

 しかして、この竹材の太さと指孔の位置とには相互関係がある。確かに竹を太くする事で音程は下がってしまうのだが、それを指孔の位置を上げてやることで補っており、逆に指孔を上げる・大きくしたために高くなってしまった音程を、竹を太くする事で下げているのだ。もちろん、全体的には「太くする>指孔位置」なので、これでもまだ音程は低い、その補えない分は指孔を刳ることで補っている。
 通常、指孔の内側を刳る(広げる)ことの意味を演奏者は「(首を下げた時の)メリを利きやすくするためだ」と考えているが、これは作用の副産物であって、本来の製管としての目的は音程と音量の向上のためである。

 以上のような特徴が虎月管には存在し、独特の響きと息抜けの良さを生み出している要因でなかろうかと思う。

※戸谷泥古の著書「虚無僧尺八製管秘伝」の中で上月円山の著書「尺八製作法大全」の十割り半の記述を「九半割りが正しい」と間違いを指摘しているが、これは歌口から計算した場合と管尻から計算した場合の齟齬であって、どちらも正しいといえる。

【追記】
俣野真龍:京都で数代に渡って尺八・篠笛などを製管する職人。
 初代は、丹波国北桑田郡千代川村北ノ庄で寛政3年に生まれ、景久といった。16歳のころに京都の御幸町通綾小路丸屋町に移り住む。禁裏の御衛士、泉涌寺の寺侍として奉仕する傍ら、京都明暗寺に出入りしていたという。真龍の号は、禁裏に勤めている時に一曲献奏を求められ、それを聴いた仁考帝から賜ったものであるといわれている。
 二代目は、天保13年の生れで喜太郎恭富(ゆきまさ)といい、禁裏の御衛士、泉涌寺の寺侍を父から受け継ぐ。製管もする傍ら京都明暗寺の指南所の看板を掲げ、吹奏の教授もしていたという。幕末の公家である中山忠光卿、伊藤源助(元白川藩、大村益次郎の暗殺者の一人といわれる)、芹沢鴨(水戸藩浪士、新撰組初代局長))、土方歳三(新撰組副局長)、本間精一郎らと交友があった。製管の弟子に林虎月、伊藤虎眼。[生没1942年~1902年]
 三代目は、明治19年の生れで真二郎頼容といい、2代目の次男。肥満型の大男で手を広げると6尺3寸もあったという。死因は糖尿病。9歳のころに病床の父から口指南で製管を学び、その後、自ら試行錯誤して多くの名管を残した。絶管はおそらく谷北無竹が自ら掘った竹を依頼され製作した「2尺1寸管 銘 露堂々」だと思われる。その他、代表作に「2尺管 古可良志」など。[生没1886年3月10日~1936年12月27日]
 真龍の号は世襲され、現代は5代目になっており、京都府で篠笛などの横笛を製作している。

伊藤虎眼:
 名古屋の生れで、のちに京都高瀬川の川沿いに移りすんだ。2代目俣野真龍の弟子で、尺八も良く吹いたらしく番付にも名前が見られる。朝が早く夜明け前から仕事を始め昼過ぎには仕事を終えて、平目の煮付けに冷酒と涼しい顔をしていたという。また、仕事の際には3尺角ほどの風呂敷を広げ、その上で全て済ませており、部屋に塵は残さなかったという。同じ名古屋の出身ということもあって樋口対山とは仲が良く、対山が在世中は「作った竹は対山が全て引き取ってくれて、値段は言わずとも、こちらの思ったぐらいの金額が包まれており、いつも気持ちのいい取引だった」と述懐している。代表作に小林紫山と谷北無竹に掘らせた竹材で回りまわって谷狂竹・浦本浙潮(煙雨亭)へと巡った「1尺8寸管 名残りの竹」など。享年59歳。

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