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尺八・虚無僧、ゆかりの地

虚無僧寺組織案内

 全国津々浦々にある尺八・虚無僧ゆかりの地。それら普化宗虚無僧寺の組織を解りやすく図解し、改めて尺八の根源というか、流派の流れなどを確認したいと思う。とはいえ、ほとんど寺とは名ばかりの草庵のようなもので、しかも取り壊れたところがほとんど。追跡調査もなまなかではない。もし、詳しい情報を知っている方おられたらどうぞご連絡いただきたい。

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普化宗虚無僧寺 西国三十三ヶ所支配 京都明暗寺属

普化宗虚無僧寺 触頭

山城国洛外 京都明暗寺(寄竹派・虚竹派)現在:京都府京都市東山区本町 
(臨済宗東福寺塔頭として残る)
※ 明暗真法流

 古い資料によれば、「幅子・副子」の色は、虚竹派(京都明暗寺)は浅葱色だとされている。詳しくは虚無僧衣装の項目を参照のこと。
 当時の寺門は紆余曲折を経て、現在は大阪市平野区の融通念仏宗本山の大佛寺にある瑞祥閣の表門として残っている。

【歴代住職】
開山 虚竹了円
★京都三条通り白川橋近郊に一庵を結ぶ★
2代・天外明普
3代・雲外禅興
4代・是雲智令
5代・廓外瑞雪
6代・洞山瑞秀
7代・泉山秀陽
8代・都月秀仙
9代・秀月廓勢
10代・含了慶陽
11代・真月順了
12代・閑月露身
13代・有心法快 (14代・淵月了源)
※12~13代のあたりに文遊庵主という明暗寺に属するものがいたらしく、越後明暗寺の的翁文仲(堀田義晴)が弟子入りしていたという。
★京都大佛本池田町に移設、寺を建立★
14代・淵月了源 ※ 京都明暗寺中興の祖と云われている。
15代・月山宗桂
(除世・玉堂智照)
16代・一室幻堂
17代・快山眠好 ※ 再興の祖と云われている。
18代・寛道一宥
19代・正山理中 ※ 寛延2年8月に山嵐子に本則を出したとする古文書写あり
20代・眠山一圭
※このころ役僧に竜安(琴三虚霊鶴巣籠)・松山(下り葉)など、初代・黒沢琴古と関わりのある名手がいた。
21代・曜山快旭 ※興国寺あての文を残す。
※このころ山本守秀、虚鐸伝記国字解を刊行する
(除世)泰良(普済寺出身、1年間のみ臨時で跡目を継ぐ)
22代・静山紋水(普済寺出身看主から明暗寺住職)
23代・是即暫道
(除世・遊山帰道、暫く継いだが古鏡ら19名の指南役が不信任を申し出て辞させられる)
(除世院代・是勝、病気のために退院)
24代・明堂寛哲
25代・清山一規
26代・空外文道
(除世・不戦、寺から去る。かわりに26代・空外文道が再勤院代)
27代・天元普玉 ※蒔絵された楽器が残っている
28代・空貫宗截 
(留守居役)時将
29代・心外一掌
(黙堂円阿。30代とも院代ともいう。心外一掌が病気で一時辞職していた間の代理だと思われる)
30代・東獄永図(俗名・増子久経。福島二本松藩[丹羽家]の武士。1年5ヶ月間、住職につく)
※黙堂円阿を30代とし、東獄永図を数えない、あるいは31代とする説もある。
31代・堅堂宗固
32代・魯堂元協
33代・玄堂観妙 
※勤王家。維新志士と交わり、のちに幕府方に召し捕られ、素行とともに斬首。尾崎真龍近藤宗悦など学ぶ。
(34代)昨非自笑 
※明治新政府により廃宗。その為、寺宝を整理して東福寺に預け、近くに僅かの土地を得て隠棲した。34代として名を連ねるのは後代による追贈(明暗対山の門弟による)。
以降:
京都東福寺の塔頭・善慧院内に明暗教会として明治21年に虚無僧文化を再興、昭和23年に「宗教法人 普化正宗総本山 明暗寺」となり今日に至る。

虚鐸伝記国字解には、別に
寄竹(虚竹)→儀伯→臨月→虚風(※1)→虚無(楠木正勝)→儀道→自東→自道→可笑→空来→自空→恵中→
一黙→普明→知来→遁翁(虚鐸伝記、※2)→無風→淵月了源→以下、京都明暗寺住職
といった系統も示されている

※1 虚風は、妙心寺開山の関山慧玄(無相大師)の別号であるともいわれている。ただし、その他の資料を見ると、関山慧玄と楠木正勝とは生没年の関係から時代が少しズレている。
※2 虚鐸伝記国字解によれば寛永年間頃(1624~1645年)の人物。京都明暗寺の住職は中興の祖である14世・淵月了源のころである。

【尺八指南所の指南役】
古鏡(※1) 林随 如意 陵雲 観玉 梅枝 去風(※2) 義古 文虹 台獄 友松 如虎 友水
超長 良仙 多水 万鏡 万竹 古舟 聖庵 流勧 友山 慶賀 明山 巴山 一指 如水 千丈 清山
龍姿 千国 友閑 魯山 主山 花玉 仙翁 柳竹 昌園 柳志 友節 豊円 残月 俣野真龍 (初到?)

※1 初代の他に2代、または3代まで継がれたのではないかともいう。焼印が数種ある。ただし偽物もある。
※2 西川一草亭(華道の大家)の7代前で米穀商という

出張所:
和州広瀬郡山ノ坊村(現 奈良県北葛城郡河合町山坊)
和州平群郡窪田村(現 奈良県生駒郡安堵町)

普化宗虚無僧寺 京都明暗寺属末寺

伊勢国白子 普済寺京都明暗寺所属現在:三重県鈴鹿市岸岡町打越
(弘化四(1847)丁未七月 看主暫改建之の合葬之墓が残る) ※ 手向
筑前国博多 一朝軒京都明暗寺所属現在:福岡市博多区御供所町6-16 西光寺内
(聖福寺塔頭、福岡県無形文化財として残っている)
菩提寺:円覚寺
※ 阿字雲井之曲吾妻之曲 など多数
石州銀山 西岸寺京都明暗寺所属現在:島根県大田市大森町銀山
(元禄ごろより無住・退転)
筑前城下 円通寺京都明暗寺所属現在:福岡県

普化宗虚無僧寺 京都明暗寺属から後に分離

上野国沼田 円宝寺上州五ヶ寺所属(注)京都明暗寺属~一月寺属~上州五ヶ寺組合属へ
武蔵国深谷 福正寺上州五ヶ寺所属(注)京都明暗寺属~一月寺属~上州五ヶ寺組合属へ
常陸国筑波 古通寺十九ヶ寺所属(注)京都明暗寺属~一月寺属~下野常陸十九ヶ寺組合属へ
下野国鹿沼 注泉寺十九ヶ寺所属(注)京都明暗寺属~一月寺属~下野常陸十九ヶ寺組合属へ
越後国中之原 明暗寺一寺のみ(注)北陸七ヶ国支配。正式な属柄というわけではない。