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尺八・虚無僧、ゆかりの地

虚無僧寺組織案内

全国津々浦々にある尺八・虚無僧ゆかりの地。それら普化宗虚無僧寺の組織を解りやすく図解し、改めて尺八の根源というか、流派の流れなどを確認したいと思う。とはいえ、ほとんど寺とは名ばかりの草庵のようなもので、しかも取り壊れたところがほとんど。追跡調査もなまなかではない。もし、詳しい情報を知っている方おられたらどうぞご連絡いただきたい。

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普化宗虚無僧寺 常州水戸八ヶ寺

 水戸八ヶ寺は、他の普化宗の虚無僧寺と少し異なり、その組織の頂点には水戸藩の寺社奉行が君臨する。虚無僧は、古くは隠密としても活躍していたという文献も残っているので、この水戸八ヶ寺も天下の副将軍・水戸藩付きの公儀隠密の役割も担ってたのではなかろうか。水戸黄門で有名な水戸光圀は、実際には諸国を巡らず、こういった隠密に情報収集させていたとも記録に残っている。
 もとは、火下派(括総派)であった。また、水戸藩と虚無僧を取り仕切る一月寺の間で、とある事件(※下記参照)から不仲となり、独自の虚無僧集団を持つに至ったのでないかと思われる。

普化宗虚無僧寺 常州水戸八ヶ寺所属

常陸国 永隣寺水戸八ヶ寺所属現在:久慈郡小生瀬
常陸国 長泉寺
(浄泉寺)
水戸八ヶ寺所属現在:那須郡高須村(馬頭村)
常陸国 勘車斎水戸八ヶ寺所属現在:多賀郡上手綱
常陸国 勘夕水戸八ヶ寺所属現在:多賀郡下手綱
常陸国 徳山水戸八ヶ寺所属現在:久慈郡折橋
常陸国 鉄水水戸八ヶ寺所属現在:久慈郡大中村 菩提寺:泉福寺
常陸国 勇哲
(曽哲)
水戸八ヶ寺所属現在:久慈郡小妻村 菩提寺:泉福寺
常陸国 玄達
(無暫)
水戸八ヶ寺所属現在:久慈郡小中村 菩提寺:泉福寺

水戸藩と一月寺とのやりとり

 水戸街道の要衝、小金の一月寺には本街道に面する寺内に椎の大木があった。その大木が往来へ枝葉を伸ばししていたことから事件が始まる。ある時、水戸公とその行列がこの通りを通行していたところ、その枝葉がどうにも長柄の槍の邪魔になる。大名行列の槍が枝を通るたびに頭を垂れるのはいかにもよくないとなり、そこで一月寺にその枝を切り払ってもらうよう申し込んだ。

応対に出た寺の留守居僧「お言葉でござるが水戸公のおやりを横にする事は出来ぬのでござろうか?」
水戸家の使い番「如何にも水戸公のおやりを横にすること相成らぬ」

なかなか交渉はまとまらない。

僧「只今、管主不在にて、手前の一存にては寺の神木を切り払うわけには参りませぬ」
使い「管主はどちらへ行かれた?」
僧「江戸浅草の出張所へ・・・」
使い「しからば、直ちに使いを出されたい。返事を受けて切り払うまでここでお待ちいたす」

大事になり、水戸の行列は小金に逗留。一方、管主に問い合わせると、

管主「一枝たりとも寺内の草木切る事断じて相成らぬ」との返事が・・・。

神祖・家康公の許可状をもった一月寺も強硬なものいい。さすがの水戸家もこれ以上の直接のものいいはできない。しかし、「ハイ、そうですか」と槍を寝かして通れば武士の一分がただず、

水戸家「それならば当方にも考えがある。これより別の新道を作り、一月寺の前は一切通らぬ」と。

これ以来、一月寺と水戸藩では不仲になったという。さても、天下の御三家を退かせる一月寺の権力の強いこと。