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尺八・虚無僧、ゆかりの地

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普門山 一朝軒(通称:博多一朝軒)

福岡博多一朝軒イメージ01 尺八修理工房幻海 福岡の博多にあった虚無僧寺。西国三十三ヶ所支配を取り締まる京都明暗寺の末寺で九州地方の基地であった。貴重な九州系の古典本曲を伝承しており、現在でもその伝統を守り伝えている。九州明暗という愛称で呼ばれる場合も。

 一朝軒は、博多にある普化宗虚無僧寺の名称です。寛永年間(1624~1643年)、 京都明暗寺の一翁(一朝軒開山)が博多に下り、住職がいなかった円通寺に居住して虚無僧生活に入り、 筑前における最初の虚無僧寺となりました。第5世一空の時、藩に願い出て矢倉門(祇園町)に地所をたまわり 「円通寺・一朝軒」と号し、後に「普門山・一朝軒」と改めました。
 明治4年(1871年)の普化宗廃宗 に伴い一朝軒も免れぬところとなりましたが、昭和26年(1951年)大乗寺前町(冷泉町)に再興し、 昭和32年(1957年)臨済宗妙心寺派聖福寺塔頭の西光寺内に移っています。
 本堂には普化宗の祖「普化禅師」、虚無僧の祖「楠正勝(くすのきまさかつ)」の尊像をお祀りしています。公には普化宗は廃滅しましたが、 法灯は継承され、昭和40年に一朝軒伝法竹として福岡県の無形文化財に指定され現在に至っています。
(明暗流尺八 一朝軒より引用)

 余談だが、竹友社宗家の初代・川瀬順輔師もその回顧録内で、尺八修行の旅の途中で一朝軒に立ち寄り、当地の虚無僧や竹好きと時に尺八について熱く語り、時に戦い、琴古流の教義を唱え、九州系の妙技に楽しい時間を過ごしたと述懐している。この時に後に琴古流へ移入される一朝軒伝雲井獅子を得たものだと思われる。
 博多一朝軒は、明治の廃宗後しばらくは廃れたままになっていたが、初めその寺院に属していた元虚無僧らが復活を試みたが叶わず。ついで津野田露月の系統に属していた田中雄飛(田中建道、一朝普門、海童道祖)が、一朝軒復興派(明暗萬松派)を称して復活を試みたが上手くいかず。ついに九州明暗の系統が復活させて今日に至る。

住所:福岡県福岡市博多区御供所町6-16(西光寺境内)
アクセス=JR博多駅よりタクシーで約5分

参考URL=明暗流尺八 一朝軒

一朝軒とその近郊 -風景写真-

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