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尺八・虚無僧、ゆかりの地

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虚無僧松(なぞかけ松)

 三河国幡豆郡八ッ面(やつもて)山麓の矢作川(愛知県西尾市八ツ面町の矢作古川河畔)にある松で虚無僧に関するもの。浜松普大寺の虚無僧が行き倒れた、あるいは逢引の末、身投げした悲恋物語として語り継がれている。この松は、野口雨情によって西尾小唄としても歌われている。昔からこのなぞかけ松の川辺は、龍や河童が住む、底なし沼と言い伝えられていたともいう。

①虚無僧の行き倒れ
 寛政元年(1789)6月28日七つ頃、八ッ面山麓で40歳ぐらいの虚無僧(普大寺門弟・清山<戒名・一己身外>)が行き倒れ死去しているのを村人が発見。役人の検死の結果、不審な点などはないとして、所持した書面などから所属寺を特定し、普大寺中島村(現愛知県一宮市萩原町南部~稲沢市北部)番所の歌石・歌遊との協議のすえ埋葬し、所持品の一部を寺に返還した、という顛末。その倒れた近くにあったのか、埋めた場所なのか定かではないがその松を後世、虚無僧松と呼ぶようになったという。(西尾市岩瀬文庫、旧例集より一部引用)
 昭和11年(1936)に金子居水(金子勝男、三河資料刊行会)により「虚無僧松之由来」という書籍が出版されており、古文書より書き写したと思われる虚無僧・清山の持ち物や本則、役所とのやり取りなどが記載されている。当時の虚無僧の服装・所持品などが解り興味深い。銭も多少なりと所持していたことから空腹による行き倒れではないようである。
 以下、清山の着用品ならびに所持品(役人検死時)→埋葬品および普大寺への返却(歌石から役人への覚)

着用品:
・ねずみ色木綿反物 →(埋葬)
・木綿帯(色・御納戸茶) →(埋葬)
・わらんし(草鞋) →(埋葬)
・袈裟黒結、くわろ(う、ら?)共? → くわら?(埋葬)
・木綿下帯 →(埋葬)
懐中品:
・絞り手拭い 一巾 →(埋葬)
・キセル煙草入れ →(返却)
・さすろ(う、ら?) 一本 →(返却)
・風呂敷包 →六布?(返却)
・庫裏(行李の代字)、但し蓋なし → 副子(埋葬)
庫裏内:
・脇差一腰 (鞘尺6寸位、身1尺1寸位、さひ切のまま無銘) →(返却)
 刀備品:角縁頭にくるめ(黒目)木月模様、切羽金焼付、京色御納戸茶(柄巻?)、目貫鶴、塗り鮫(鞘の拵え?)、
     下緒木綿真田(紐)、鍔も川(つ?)ろふに似○るすかし
・尺八 一本 →(返却)
・扇子 一本 →(埋葬)
・天蓋 →(埋葬)
・花色木綿反物 一つ →(返却)
・打ち飼ひ(袋)に銭六拾八文入り →(返却)
・財布 一つ →(返却)
・剃刀 一挺 →(返却)
・観音経 一巻 →(返却)
・矢立筆 共に →(返却)
・櫛 三扱 →(返却)
・元結 一把 →(返却)
・糸? 品々 →薬 品々(埋葬)
・守袋内大神宮御○石高宮守刀(但し、竹4寸位) →(返却)
・傘一本 白木木綿袋に入る →(返却)
・白木木綿手指 一つ →(返却)
・白木木綿脚絆 一足 →(埋葬)
・白わらんしを(白足袋?) 一足 →(埋葬)
・ちり紙 一帖程 →(埋葬)
・わらんし(草鞋) 一足 →(埋葬)
・木札 一枚 (長さ尺五寸七分、横二寸五分)→ 乾坤板(埋葬)
 表字:天下府入 十字街道吹尺八 東西南北自由身
 裏字:東海道遠陽敷知郡濵松駅 鈴鐸山普大寺 門弟其名 一己身外
・普化本則 →(返却)
・往来 →(返却)
・合印 →(返却)

②悲恋物語
 幕末、岡崎城下の武士・植村主税は、お夏という身分違いの娘と相思相愛の仲になった。しかし、家格の違いから反対され、「この世で一緒になれないなら」と菅生川に身投げ心中する。しかし、植村主税のみは生き残ってしまった。そのことを歎いた植村主税は俗世に嫌気がさし、お夏の供養のために虚無僧へと身をやっした。
 幾年かのち、八ッ面山麓の矢作川の松の根元に一人の虚無僧が足を休めてた。尺八を一通り吹き、ふと川面に目をやると、お夏が笑いかけているような気がする。翌朝、その川から一人の虚無僧の遺体が村人によって発見されたという。

西尾小唄 歌詞
西尾八ツ面山 謎かけ サノヨイトサノサノサノサノ 松よ
なぞをかけます ヨイトサノサヤレ かけます チヨイト
こちの人と 来やしゃんせ と来やしゃんせ
なぞを解きます 当りがなかば
こぼれ松葉と 松葉と 解きまする 解きまする

場所:愛知県西尾市八ツ面町の矢作古川河畔

虚無僧松とその近郊 -風景写真-

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