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尺八 真の名人列伝

 この世に尺八吹きは数あれど、真の名人と呼ぶに相応しい人物はそうそういない。私がこれまで出会ってきた、あるいは演奏会やコンサートで、あるいはCDなどの録音物で聴いた方々などで、本当に感動し、尊敬し、後世に残したい、伝えたいと思う演奏家を紹介していきたいと考えている。

尺八の達人・名人・・・

海童道祖(ワダツミドウソ)

海童道祖 法竹 尺八修理工房幻海 1911年11月~1992年12月14日没。福岡県生まれ、本名は田中賢三。元普化宗管長。海童道開祖ほか、海童道杖、日本今様などの各種家元を兼ねる。かなりの奇人変人であったとも、稀有の大僧正であったとも人はいう。一朝普門、海童普門、海童宗祖などと名乗っていたが1972年に渡米した際に「海童道祖」の名を贈られる。もと九州明暗の津野田露月の門人で、一朝軒の復興にも努めた(現在の一朝軒復興の前段階)。

 禅・哲学の思想を取り入れた古典的あるいは前衛的な考えは、古今東西を問わず多くの芸術家・音楽家、まったく尺八を知らないような一般人にまで大きな影響を与えた(※1)。しかし、極端に取材や写真を取られたりするのを嫌い、その音や考えはわずかに残るレコードやCDなどからしかうかがい知れない。
 海童道において、尺八は法竹(ホッチク)または定具(吹定道具)・道具(物に執着しない為の名)と呼ばれ、楽理は哲理または道理と呼ばれ、音楽論というよりは宗教論・思想論に近い。使用している楽器(法竹)は、物干し竿に使用していたような竹を無造作に切って、子供が孔を開けたものと解説されている(ただし、彼の弟子の横山勝也はかなり尺八をいじくり回す人だったので、師匠である海童道祖もいじくり回していた可能性はある。また明治期頃の製管師・白木静波と懇意にしており、楽器を使用していたともいう)。
 演奏のことは、吹定(スイジョウ)といわれ、直(ジキ)・合(アイ)・切(キリ)・中(チュウ)・回(カイ)・刻(コク)・複息(マタイキ)などの呼吸法を複雑に組み合わせて奏される。

※1 世界的に有名な音楽家、武満徹やジョン・ケージにも影響を与え、のちに世界中に尺八を知らしめる大作「ノヴェンバー・ステップス」や奇作である「4分33秒」創作の遠因にもなった。

【海童道について】
相違性:一本の笛があるが吹く人が変われば、その現す音の赴きも次第に吹き分けられ、いつのまにかそらが海童道と音楽とを別つ。音楽は音響を本体として味わい、海童道は無音を本体として凡ゆる音(雑音や清音)を味わう。

実践哲理:海童道はこころの在り方を鍛えて、それによる境地を現す。こころの在り方を端的に示せば人間の有形無形によるはたらきがそうである。

作用(さゆう):”吐く”とは呼吸の仕方をいい、”掴む”とは全指の動作をいい、”伸ばす”とは体の屈伸をいう。これらの作用が哲理となる。哲理は誰も即座に行ない易く、自然的であり、これを自然法と呼ぶ。自然法を行なうに道具を用いてすれば実践的に強める。これを道法といい、道具には法竹を用いる。

法竹(定具、道具):道法の具、即ち法竹は思考の変形として具現し、形はただの竹に音孔を開けたものである。法竹は不完全な音器であるだけに道力によって楽器の如くに鳴らす。故に、音楽の方は楽器の演奏となり、海童道の方は法竹の吹定(すいじょう)となる。

道曲:実践哲理に用いる道法の曲を道曲という。道曲の修得も最初は音楽と同じく曲調の練習から始める。それから以後が自然法を鍛える修行と化して一曲に何年間もかける。これを体達という。

独境(どくきょう):道曲上で、各自の表す音の高低が同一であっても一人一人の精神境地は相違する。

音の分野:音の分野を作用上よりすると、風や水などの自然音、楽器による音楽音、実践哲理による海童道音の類になる。海童道音の特色のひとつは聴こえる音に並行して、聴こえない音を表現する。聴こえる音は音響であり、聴こえない音は、音が無いのではなく人間の作用と化す。その作用を即今聴法というが、哲理を体達していなければわからない。海童道の修行も「音を出さずに出せ」「無を吹定せよ」という哲理の初歩から学び「有って無く、無くて有る」などの奥儀へと入る。

響流(ごうる):音の永遠味と根本性を感じるのは、無音である。無音が有音と化し、有音が無音へと還る期間を響流という。

前衛音楽:
前衛哲理:
道書道士:

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