尺八の修理・販売 尺八修理工房幻海
Shakuhachi Repair Studio[SRS]GENKAI
Bamboo Flute Atelier Unlimited
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普化宗虚無僧寺の中でも有名なお寺の一つで小菊派。奥州福島(現 福島県福島市)にある。
福島蓮芳軒(別字に連芳軒)が有名な理由の一つとして、尺八の名人・神保政之助がこのお寺に逗留していたことが上げられる。蓮芳軒伝の鶴の巣籠が伝えられている。
神保政之助(ジンボ<ウ>マサノスケ)=1841~1914。越後(新潟県)蒲原郡八橋村生まれ。別字に政之輔とも。普化宗明暗寺住職堀田侍川(越後明暗寺最後の住職)の門人で尺八の大家として知られ、明治20年代から30年代にかけての約10年間だけでも,70名余りの門人がいた。明治22年ごろに北海道を行脚中に小樽で師の堀田侍川と共同で作曲したといわれる「神保三谷(別名に奥州薩慈)」は世に名高い名曲と知られ、「神保の三谷か、三谷の神保か」とまで云われている。また、今日ある古典本曲中唯一の,個人の名を冠した曲として,弟子の引地古山と浦山義山が伝えた。彼の愛用の尺八の一つに3尺余の竹があり、それにまつわるエピソードがある。彼が托鉢行脚に出かける際に、妻に「誰か私を訪ねてきたらコレ(3尺管)でも吹かせておけ」といって出かけ、吹けない者には会おうともせず、吹ける者には上機嫌に酒まで振舞ったという。京都妙心寺管長今川貞山禅師に教えを受け、神寶普巌居士の法号を授与される。晩年は福島にとどまり安洞院壇徒の齋藤源太郎宅で歿し、その墓は安洞院にある。
参考音源:蓮芳軒伝喜染軒伝 三谷巣籠(地無し8寸を使用)
安洞院では、神保政之助を偲ぶことができ、寺の山門前に建立されている顕彰碑には、政之助の居士号「神寶普巌居士」と大きく刻まれている。同寺の別当寺である文知摺観音には資料館があるのだが、そこに神保政之助のコーナーがあり、愛用の尺八や直筆の尺八譜面等が展示されている。余談だが、この文知摺観音は松尾芭蕉の奥の細道にも登場し、その後を追った正岡子規なども立ち寄ったということで、地元では名所になっている。
福寿山慈恩寺は、臨済宗妙心寺臨済宗妙心寺派で、連芳軒とは本末寺関係になる。この寺に歴代上座(住職)24名の御位牌が残されているという。寺の奥には、虚無僧寺開祖の記念碑があり、碑には「慶長四亥歳八月十五日当山開基 古山一風上座」と刻まれている。
元住所:福島県福島市大町周辺
安洞院:福島市山口寺前5(神保政之助墓・史料館)
慈恩寺:福島県福島市春日町14-52(蓮芳軒の本寺)
【写真提供】風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)
=地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。