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尺八・虚無僧、ゆかりの地

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狭山池と尺八樋(しゃくはちひ、しゃくはちどい)

 大阪府大阪狭山市にある狭山池(日本最古とされるダム式のため池)で、その原型は飛鳥時代に灌漑用に作られたとも云われている。
 その狭山池では、取水口としていくつか樋(ひ、とい)を設けているが、その一つに慶長頃に豊臣秀吉の家臣である片桐且元(かたぎりかつもと)が初めて作ったとされる尺八樋(しゃくはちひ)がある。これは堤の下に埋め込まれた伏樋(ふせひ)と斜面に沿うように縦樋と尺八樋が作られ、何段かの取水口が設けられている合理的なものである。これにより日光によって温められた水温の高い水を取り出すことができ、なおかつ開閉もしやすいというものであるという。
 名称の由来は、樋の形が尺八に似ていることから。狭山池に隣接する「大阪府立狭山池博物館」で学芸員の方にお話しを聞いたところ、「樋の形が尺八に似ている」という部分は、いくつも取水口が開いている姿が、「尺八の指孔に似ている」ということではないかとのこと。確かに堤の上から縦向きに取水口が開いている姿を想像すると、尺八に似ているかもしれない(とはいえ、現行の尺八というよりは一節切のように思える)。また、尺八樋の名称が片桐且元が作った当時からの名称なのかどうかを尋ねてみたところ、「それは定かではなく、発見されている中で一番古い尺八樋の名称が記述されている文献は、幕末ごろのもの」とのこと。この名称が片桐且元の時代からのものであれば、当時、かなり尺八の名称が一般的であった新たな証拠にもなる(千利休大森宗勲が活躍していた時代とも重なる)。
 尺八樋や遺構などは「大阪府立狭山池博物館」で、入場無料で常設展示されている。ちなみに博物館は安藤忠雄氏の作で、中々面白い。
 さらに余談だが、当地を治めていた狭山藩は、北条早雲や一節切で有名な北条幻庵に連なる後北条氏である。後北条氏は、北条幻庵と母の葛山氏、由良の興国寺家臣・吉野織部之助と鈴法寺などなど、何かと尺八との縁が深い。小田原征伐で豊臣秀吉によって滅ぼされた後北条氏は、高野山に一度は隠れ、その後、徳川家康との縁故で狭山藩として再興を果たす。

大阪府立狭山池博物館:大阪府大阪狭山市池尻中2丁目

狭山池博物館とその近郊 -風景写真-

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