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尺八・虚無僧、ゆかりの地

虚無僧寺組織案内

 全国津々浦々にある尺八・虚無僧ゆかりの地。それら普化宗虚無僧寺の組織を解りやすく図解し、改めて尺八の根源というか、流派の流れなどを確認したいと思う。とはいえ、ほとんど寺とは名ばかりの草庵のようなもので、しかも取り壊れたところがほとんど。追跡調査もなまなかではない。もし、詳しい情報を知っている方おられたらどうぞご連絡いただきたい。

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普化宗虚無僧寺 一月寺属

普化宗虚無僧寺 触頭

下総国小金 一月寺(金先派)現在:千葉県松戸市小金242 菩提寺:萬満寺
(萬満寺に旧跡・松戸市博物館に資料が残る)

 古い資料によれば、「幅子・副子(ふくす)」の色は、金先派(一月寺)は蝋色だとされている。詳しくは虚無僧衣装の項目を参照のこと。

【歴代住職】
開山・古山金先(?詮) 2代・鼓岩了波
祐覚(文明年、1469~1486の住職という) 松滴(左に同じ)
66代・有夢(有無)
清山寒江(慶安3年ごろ)
徳岩(承応年、1652~1654の住職という) 松声(左に同じ)※喜国という役僧が大いに助けたという
102代・覚巌恵了(享保12年) 103代・関月東江
104代・寛算裏碩
※左文、義好、残水、秋曲、吟竜という尺八巧者あり。このころ黒澤琴古も出入りする
105代・仰雲泰巌 106代・瑞鳳 107代・松蔭玄操 108代・鉄透祖関(俗名・三木一甫)
109代・観道勇志 110代・鉄透祖関(108代、再住)
111代・良運大暢 院代・聖道宣周 傑秀看我(西向寺看主?、円法寺看主?) 看主・一腸 102代・宵海蛟竜
出役・無着愛叡 澄源有道(清山寺看主) 静海謙譲(西向寺看主)

普化宗虚無僧寺 一月寺属末寺

下総国船橋 清山寺一月寺所属・
末寺頭
現在:千葉県船橋市 ?
※ 打替虚霊
武州神奈川 西向寺一月寺所属・
末寺頭
現在:神奈川県横浜市神奈川区高島台1-2
(曹洞宗 青木山本覚寺に旧跡) 菩提寺:本覚寺
上総国土気 清岸寺一月寺所属現在:千葉県千葉市緑区土気町 (東部?)
上総国大多喜 析紙寺一月寺所属現在:千葉県夷隅郡大多喜町 ?
上総国谷中 松見寺一月寺所属現在:千葉県袖ケ浦市三黒字造西
市指定26/27号史跡
(虚無僧墓碑と神谷転<うたた>の石碑あり)
※下記に注釈 ※転菅垣
遠州浜松 普大寺一月寺所属現在:静岡県浜松市中区成子町13
(浄土宗法林寺の南に供養塔あり) 菩提寺:法林寺
※ 玉堂梅山-兼友西園(西園流)
※ 虚無僧松(下記参照)
筑州柳川 江月院
(観音寺、却月院)
一月寺所属・
九州触頭
現在:福岡県柳川市(城址近郊)
宮川如山は元々、ここの虚無僧に尺八を手解きされた。
薩字 ※当地に祟りの噂あり
筑州久留米 林棲軒一月寺所属現在:福岡県久留米市
駿河国府中 無量寺西向寺所属現在:静岡県静岡市清水区
相模国三浦 竜山寺西向寺所属現在:神奈川県三浦市三崎 菩提寺:実相寺
総州宝珠花 観念寺西向寺所属現在:埼玉県春日部市西宝珠花
菩提寺:宝蔵寺、大王寺
武州目黒 東昌寺西向寺所属現在:東京都目黒区下目黒3丁目 仁王門のそば
(虚無僧 平井権八と小紫の比翼塚あり) 
菩提寺:浄覚寺  ※目黒獅子
※平井権八と小紫の比翼塚
武州本町田 大択寺西向寺所属現在:東京都町田市本町田
武州大谷 南松寺西向寺所属現在:東京都町田市南大谷451 南大谷天神社内
(南松寺観音堂と歴代住職の墓碑あり) 
菩提寺:宗保院、養運寺
房州貝塚 永福寺析紙寺所属現在:千葉県安房郡

※ 神谷転と仙石騒動(千石/事件)
 江戸時代後期の大名・老中で天保の改革で有名な水野忠邦が関わった事件で、出石藩(現在の兵庫県豊岡市出石町)の仙石家のお家騒動のこと。もとは、出石藩や仙石家内での悪政や相続問題であった。しかし、仙石家の家臣である神谷転が虚無僧となって身を隠した為、南町奉行が捕縛した後、寺社奉行が管轄権の侵害と上訴した為、幕府内での大きな権力抗争へと発展してしまった。

※ 虚無僧・平井権八と小紫の比翼塚
 平井権八は、鳥取藩松平相模守の家臣・平井左衛門の子で、武芸には秀でていたが正確が粗暴で父を辱めた相手を打ち殺し江戸へ出奔してしまう。その時、吉原で出会った遊女・小柴と馴染むが、金に困って辻斬り強盗などの悪事を働き浪花へ逃げるが、ついには観念して自主。しかし、一目だけでも小柴に逢いたいと護送中に逃げ出し、小柴に最後の別れを告げて再度自主、磔の刑に処される。この遺体は、かつて虚無僧をしていた縁で東昌寺が預かり供養する。それを聞きつけた小柴はこれを悲しみ墓前で後を追うように自害する。
 後に遊女の純愛として世人の噂になり、芝居や物語として描かれるようになる。

※ 虚無僧松(なぞかけ松)
 三河国幡豆郡八ッ面山麓の矢作川(愛知県西尾市八ツ面町の矢作古川河畔)にある松で虚無僧に関するもの。浜松普大寺の虚無僧が行き倒れた、あるいは逢引の末、身投げした悲恋物語として語り継がれている。この松は、野口雨情によって西尾小唄としても歌われている。昔からこのなぞかけ松の川辺は、龍や河童が住む、底なし沼と言い伝えられていたともいう。
①虚無僧の行き倒れ
 寛政元年(1789)6月28日七つ頃、八ッ面山麓で村人が40歳ぐらいの虚無僧(普大寺門弟・一己身外)が行き倒れ死去しているのを発見。役人の検死の結果、不審な点などはないとして仮埋葬し、所持した書面などから所属寺を特定したが、遺体の引き取りは断られた、という顛末。その倒れた近くにあったのか、埋めた場所なのか定かではないがその松を後世、虚無僧松と呼ぶようになったという。(西尾市岩瀬文庫、旧例集より一部引用)
②悲恋物語
 幕末、岡崎城下の武士・植村主税は、お夏という身分違いの娘と相思相愛の仲になった。しかし、家格の違いから反対され、「この世で一緒になれないなら」と菅生川に身投げ心中する。しかし、植村主税のみは生き残ってしまった。そのことを歎いた植村主税は俗世に嫌気がさし、お夏の供養のために虚無僧へと身をやっした。
 幾年かのち、八ッ面山麓の矢作川の松の根元に一人の虚無僧が足を休めてた。尺八を一通り吹き、ふと川面に目をやると、お夏が笑いかけているような気がする。翌朝、その川から一人の虚無僧の遺体が村人によって発見されたという。

金先派の無院・無住の寺

高山寺(金先派)現在:高知県高知市
南心寺(金先派)現在:熊本県熊本市
南松軒(金先派)現在:熊本県熊本市
一宇軒(金先派)現在:佐賀県佐賀市