Top -トップ->Study -尺八の考察->-楽曲解説->-西園流-

楽曲解説 -その他-

 邦楽の様々な楽曲の由来や解説などを知り、より演奏を楽しむ為の考察です。

西園流(セイエンリュウ)尺八

 金先派の一月寺に属する虚無僧寺・浜松普大寺(フダイジ)の玉堂梅山より学んだ兼友西園(カネトモセイエン)がその遺曲を伝えた。西園流の名称は、1890~1900年前半の諸流派勃興期に伴い名古屋にもその波が押し寄せてきたため、区別するのに一門が名乗るようになった。
 流祖の芸風は、素朴で直線的、無技巧で飾り気なく、尺八禅の境地を奏でる本曲にあるとされ、その思想は樋口対山にも大きく影響を与え、引き継がれている。吹奏は、虚吹き・棒吹き・楔吹きを用いる。
 現在は西園流という流派を維持しつつも、一つの流派というより明暗対山に属するような形になりつつある。
 著名な演奏家に鈴木考道(樋口対山)、内田紫山、平野芳園、加藤渓水、加藤紫園、安福呉山、岡田魯山。

初代=兼友盛延(西園は追贈)文政元年~明治27年3月21日
 名古屋桜の町、砥屋弥三左衛門弥の一人っ子。性格は短編急で頑固一徹であったという。16歳にはひとかどの尺八を吹き、浜松普大寺の虚無僧を自宅に招いては稽古していた。あまりに尺八三昧で砥屋は畳み、富裕な呉服店に気に入られて婿養子となったが、番頭から「尺八ばかり吹いて商売に向いてない」と陰口を言われ、即日退去して散々請われても二度と戻らなかったという。兼友盛延は趣味として尺八を楽しんだ人で、吹奏時には香を焚き、職業的に門人は取らなかった。

2代=内田紫山
3代=加藤紫園
4代=小林箏園
5代=小原清流
6代=岩田律園

※2代目以降は西園継承前の号

参考URL:西園流尺八の沿革

西園流尺八 伝承曲

 浜松普大寺から受け継がれた遺曲11曲。

本手調 瀧落之曲 三谷 志津之曲 秋田
鶴巣籠 虚鈴 虚空 霧海ヂ 鈴慕 琴菅垣

西園流の流宝

・一尺九寸管 銘「松風(松風の声)」 村瀬竹翁 作:
地無し延べ管、首廻り約10.8cm。
金蒔絵の文字で久我侯爵の和歌が添えてあるという。
<聞くたびに 浮世の塵を はらいけり 明るるものか 松風の声> 

・二尺四寸管 銘「金風」 村瀬竹翁 作:
地無し延べ管、首廻り約10.8cm。紅葉散しの蒔絵(片岡天一堂 作)

・一尺八寸管 銘「青風」 村瀬竹翁 作
地無し延べ管、首廻り約11.4cm。根つぎのところに亀の蒔絵(片岡天一堂 作)

普大寺に関係する人物

・兼友盛延(西園):上に記載

・村瀬竹翁(ムラセチクオウ):文政元年~明治21年
 名古屋出身、初め森川姓。成瀬豊後守の家臣。幼いころから文武の他に音楽を好み、尺八も学んだ。宗悦流で京都の塚原玉堂に学び、のちに普大寺の玉堂梅山に学ぶ。製管もよくした。

・堀内是空(ホリウチゼクウ):1857・58年頃~1942年1月19日
 本名、英道。別号に松風軒、波響とも。上記2名とは別に浜松普大寺の流れを組む人。琴古流の流れも汲み、のちに上京し二世古童(荒木竹翁)に師事したとも、吉田一調の門人
の加藤松月(秋月)に師事したとも云われている。
 この人が普化禅師の像をはじめ、普大寺の資料を預かったといわれているが、残念ながら火災の為に焼失したという。弟子に鈴木犀十郎(松龍軒、吟響)ほか。

その他の楽曲

一閑流 根笹派錦風流 讃佛歌/御詠歌 忍流 西園流 天吹 一節切 三節切 明暗真法流 明暗対山 九州系 宗悦流 松調流 古代尺八・雅楽尺八 その他

尺八製管・販売、その他周辺アイテムなど、尺八修理工房幻海

文字サイズ拡大

観づらい場合の文字サイズ
拡大方法はコチラから

尺八に問題が?

練習してるのに・・・
どうも吹きにくい

修理・お見積りのお問い合せ、尺八修理工房幻海

 毎日、尺八を練習しているのにどうも上手く音が鳴らない、鳴り辛い・・・もしかしたら、尺八に問題があるのかもしれません。そんな時はプロに相談。あなたの尺八に問題がないか調べます。お問合せへ

尺八を始めよう!

各地の稽古場・
 教授者の紹介