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楽曲解説 -ア行-

 邦楽の様々な楽曲の由来や解説などを知り、より演奏を楽しむ為の考察です。

越後獅子(エチゴジシ)

 地歌筝曲、獅子物。峰崎勾当(ミネザキコウトウ)作曲、箏の手付けは市浦検校(イチウラケンギョウ)や八重崎検校(ヤエザキケンギョウ)が加えたものなど数種ある。作詞者は不明。

越路潟(こじぢがた) お国名物さまざまなれど 田舎訛りの片言交じり
白兎(しらうさぎ)なる言の葉に 面白がらしそうなことを
直江浦の海士(あま)の子が 七つか八つ目うなぎまで
績(う)むやあみ(網、編み)その綱手とは 恋も心も米山の
当帰(とほき)浮気の黄蓮(おうれん)も
なに糸魚(いとい)川糸魚(いとうお)の
もつれもつるる草浦の 油漆と交わりて
末松山の白布の 縮み(ちぢみ)は肌のどこやらが 見え透く国の風流を
うつし太鼓や笛の音も 弾いて唄ふや獅子の曲
向かい小山の紫竹竹(しちくだけ) 枝節揃えて切りを細かに十七が
室の小口に昼寝して 花の盛りを夢に見てそろ
夢の占方(うらかた)越後の獅子は 牡丹は待たねど富貴は
おのが姿に咲かせ舞ひ納む 姿に咲かせて舞ひ納む

 越後国西蒲原(にしかんばら)郡月潟村(現 新潟県新潟市)の神社で行なわれていた神楽舞の獅子から諸国へ広まった独り舞いの獅子舞。
 農閑期に小集団で地方から出稼ぎに行き、家々を回って米銭の収入を得ていた一種の正月の風物詩。獅子頭を被った子供が親方の笛や太鼓の音色に合わせて曲芸をしながら舞う。
 しかし、明治期からの児童虐待法により禁止され、現在は郷土芸能の文化遺産としてほそぼそ残るのみである。別名に角兵衛獅子、蒲原獅子とも。
 この角兵衛獅子に越後の名物を歌い上げ、峰崎勾当が地歌筝曲として作曲したものを越後獅子といい。さらにそこから篠田金次が前後に歌詞を足し、九代目杵屋六左衛門が長唄を作曲したものが、今日最も有名な長唄の越後獅子である。

峰崎勾当=生没年不詳
天明・寛政期(1781~1801)ごろの上方で活躍。峰崎は、手事物の確立者ともいわれ、門人である松屋某の娘が、夭悼して作曲された「残月」は五段の手事よりなる名曲として知られ、長唄に取り入れられた名曲「越後獅子」は三段の手事で知られている。代表作に名曲である残月・越後獅子の他に師の追善曲として作曲した袖香炉、日本舞踊で有名な雪、そのほか小簾の戸袖の露などがある。

その他のア行の楽曲

相生の曲 葵の上 青柳/新青柳 秋風の曲 秋田 秋の曲 秋の言の葉 秋の調 秋の山唄 秋の夜 曙三谷 曙鹿の遠音 曙菅垣 曙調 朝風 朝戸出 朝の海 朝緑 芦刈 葦の調 阿字 阿字観 飛鳥鈴慕 吾妻獅子 吾妻獅子(地歌) 綾衣 菖蒲浴衣 新玉の曲 有馬獅子 あれ鼠 葦草鈴慕 十六夜日記 五十鈴川 伊豆鈴慕 磯千鳥 磯の春 磯節 一定 五木の子守唄 一息 稲上げ唄 今小町 祖谷の粉挽唄 岩清水 浮舟 臼の声 宇治巡り 歌恋慕 打替虚霊 打盤 海辺の夕映 梅の月 梅の宿 浦霞 回向 江差追分 越後追分 越後三谷 越後獅子 越後鈴慕 越中おわら節 越天楽 恵傳楽 江戸土産 扇盡 奥州流し 王昭君 近江八景 大内山 岡康砧 翁の曲 お立ち酒 尾上の松 朧月曲 朧月夜

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