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楽曲解説 -ヤ行-

 様々な楽曲の由来や解説などを知り、より演奏を楽しむ為の考察です。

熊野(ユヤ)

 山田流の地歌筝曲。作曲者は山田検校。歌詞は、「平家物語」の平宗盛と愛妾・熊野の噺から取った能の「熊野」より、後半のクセから終わりまでの謡の文句をそのまま借用している。

[前弾]
清水寺(せいすいじ)の鐘の声
祇園精舎を現し 諸行無常の声やらん
地主権現(じしゅごんげん)の花の色
裟羅双樹(さらそうじゅ)の理なり
生者必滅の世の慣らい
げに例(ためし)あるよそおい
仏も元は捨てし世の
半ばは雲に上見えぬ
鷲のお山の名を残す
寺は桂の橋柱
花やあらぬ初桜の
祇園林下河原
南をはるかに眺むれば
大悲擁護(おうご)の薄霞
熊野権現(ゆやごんげん)の移ります
御名も同じ今熊野(いまくまの)
稲荷の山の薄紅葉の 青かりし葉の秋
また花の春は清水の ただ頼め頼もしき
春も千々(ちぢ)の花盛り
山の名の 音羽嵐の花の雪
深き情けを人や知る
【熊野】「わらはお酌に参り候うべし」
【宗盛】「いかに熊野 ひとさし舞い候え」
深き情けを人や知る のうのう俄に村雨のして花を散らし候うはいかに
【宗盛】「げに只今の村雨に 花の散り候うよ」
【熊野】「あら心なの村雨やな」
春雨の降るは涙か 降るは涙か桜花 散るを惜しまぬ人やある
【宗盛】「由(よし)ありげなる言葉の種」
取り上げ見れば いかにせん 都の春も惜しけれど
【熊野】「馴れし東の花や散るらん」
【宗盛】「げに道理なり あわれなり はやはや暇(いとま)取らするぞ東に下り候え」
【熊野】「なにお暇と候うや」
【宗盛】「なかなかのこと 疾(と)く疾く下り給うべし」
【熊野】「あら嬉しや尊やな」
これ観音の御利生(ごりしょう)なり
これまでなりや嬉しやな これまでなりや嬉しやな
かくて都にお供せば
またもや御意の変わるべき
ただこのままにお暇と
木綿(ゆう)つけ鳥が鳴く
東路(あずまじ)さして行く道の
やがて休らう逢坂の
関の戸ざしも心して
明け行く跡の山見えて
花を見捨つる雁がねの
それは越路(こしじ)われはまた
東に帰る名残かな 東に帰る名残かな

山田流のなかでも特に大切に扱われている「山田の四つ物」の一つで、平家物語の中の熊野が病気の母のもとへ帰る許しを宗盛から得て喜ぶ場面で、壮大に描かれている大曲。20余分の長大な曲でもあるので、奏者が達者でないと聴くに耐えないので手を出してはいけない。ただ、本当に上手い人の演奏を聴くとまるで目の前で演劇が繰り広げられているかのようにドラマティックに展開する。

山田検校=関名は斗養一(とよいち)、山田流の創始者。1757~1817年
京都より江戸へ派遣された長谷冨検校(ハセトミケンギョウ)に学んだ山田松黒(ショウコク)から学び、江戸人好みの派手で粋な筝曲を創作して山田流を興した。それには、当時江戸で流行していた浄瑠璃や長唄・能・歌舞伎などの特徴を取り入れた独自の作風であった。自作曲の楽譜や歌詞の出版や、箏職人の重元房吉(シゲモトフサキチ)と協力し箏の改良も行い、現在主流の「素箏(山田箏)」を製作したりと邦楽発展に大きな影響をもたらした。

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