尺八コラム 限界突破!
尺八の心 2011/11/5
「尺八の心」
こういうとなんだかすごく大げさに感じるかもしれない。あるいは魂、中心、要、軸。色々な言い方が出来るかもしれないが、やはりこの場合は「心」だろう。なんともうまい形容が見つからない。つまるところ私が言いたいのは、八百万の神々のような物に心が宿るという意味合いではなく。もっと合理的な(味のない)言い方をすれば、尺八はなぜ鳴るのかといったようなニュアンスだ。それが、尺八の心。それを私は見つけたのではないか、と思う。
私の何度も読み返す愛読書の一つに吉川英治著の「宮本武蔵」がある。その中で特にお気に入りなのは、第4巻の武蔵と吉野太夫とのある意味、壮絶な決闘の場面だ。その章「断絃」で吉野太夫は、武蔵の張り詰めた糸のような余裕の無さが、やがて命を落とすもととなるだろう、と武蔵を恐れずいってのける。怒る武蔵。その時、彼女は一面の琵琶を取り出し、琵琶の妙なる音色に人間をたとえ武蔵を正す、琵琶の中には空洞があり、その空洞を響かせるのは胴を支える横木に適度な緩みがあるためだと。この挿話は、実に良くできていて、人間のそして音楽の奥義だと私は考えている。この章を読むたびに、すばらしい人だと感じ、音楽の深淵を除く心地だ。
さて、宮本武蔵についてはそれぞれ読んで頂くとして・・・、私はこの本によって今まで尺八におぼろげながら感じていた「尺八の心」を明確に認識させる後押しとなってくれた。その心とは、「空虚(うつろ)」である。尺八の内部の、微妙な広狭、その空間。その何も無い部分に、尺八の心が有るといえるのではないだろうか。その空間の緩みや張りが、尺八の音色を左右するのだ。
製管をはじめ、内部の狭いものから広作りまで様々な尺八を作り、研究してきた。その度に、何も無い空間とにらめっこし、ああでもないこうでもないと唸り続けることで、見えてきた尺八の心。ぜひ、演奏者の方には、唯の竹筒を吹いていると思うのではなく、その何も無いところにある機微なる尺八の心を感じとってもらいたい。
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