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楽曲解説 -マ行-

 邦楽の様々な楽曲の由来や解説などを知り、より演奏を楽しむ為の考察です。

三津山(ミツヤマ)

 地歌筝曲、京風手事物の大曲。作曲は光崎検校、箏の手付けは師匠である八重崎検校による。作詞は三井次郎右衛門高英(俳号・後楽園四明居)。能の三山(ミツヤマ)を参考としている。

足引きの大和の国 三津山の
昔を語るに よも古へに 楢(なら)の葉や
膳夫(かしわで)の公成(きんなり)といふ人ありけり
その頃 耳成(みみなし)の里に 桂子と申す女あり
また畝傍(うねび)の里に 桜子といへる優女(ゆうじょ)ありしに
かの膳夫の公成に 契りをこめて玉櫛笥(たまくしげ)
二道(ふたみち)かくる蜘蛛(ささがに)の
いと浅からぬ思ひ夫(づま)
月の夜雨の夜半(よわ)とても 心を染めて通ふ神
住家も二つの里なれば 月よ花よと争ひしに
かの桜子になびきてぞ 耳成の里へは来ざりける
[手事]
そのとき桂子恨み侘び さてはわが身も変わる世の(夜の)
夢も暫しの桜子に 心を寄せてこなたをば
忘れ偲ぶの軒の草
はや離れがれになりぬるは もとよりも頼まれぬ二道なれば
このままに住み果つべしと思ひきや
ただ何事も時に従ふ世の習い ことさら春の頃なれば
盛りなる桜子に移る人をば恨むまじ
[手事]
われは花なき桂子の わが身を知れば春ながら
秋にならんも理(ことわり)や
さるほどに起きもせず 寝もせで夜半を明かしては
春のものとて長雨(ながめ)降る
夕暮に立ち出でて 入相(いりあい)もつくづくと
南は香具山 西は畝傍の山に咲く 桜子の里見れば
さらに他目も花やかに 羨ましくぞ思ほゆる
あら恐ろしの山風や われは畝傍の里に住む
桜子といふ者なるが かやうに物に狂ふぞや
因果の花につき慕ふ 嵐をよけてたび給へ
[合の手]
光り散る月の桂も 花ぞかし
もとより時なる春の花
咲くは僻事(ひがごと)なきものを
花もの言はずと聞きつるに など言の葉を聞かすらん
春いくばくの身にしありて 影唇を動かすなり
さて花は散りて もまたもや咲かん
春は年どし頃は弥生の 雲となり桜子 雲となり桜子
花は根に帰り 妬さも妬し後妻(のちつま)を
打ち散らし打散らす
打てども去らぬは煩悩の
桜花に伏して泣き叫ぶ 悩み乱るる花心
有明桜光り添ふ 月の桂子一つ夜に
二道かくる三つの山
争ひ立つや春霞 天の香具山 畝傍山
たなびき染めて耳成山
春の夜満ちてほのぼのと
東雲(しののめ)の空となりにけり

光崎検校=関名浪の一、冨機一。生田流、八重崎検校の弟子
幕末新筝曲として三味線と合奏しない純粋な筝曲作品を作ったり、伝統的な地歌物を作りながら新たな試みを試してみたりと革新的な人物だった。代表作として、幕末新筝曲「秋風の曲」「五段砧」、地歌では京流手事物として「七小町」「夜々の星」など名曲多数。

八重崎検校=関名は壱岐之都、三保一。生田流。1776または85~1848.
京流手事物の箏パートの作曲の第一人者で、多くの箏パートを作曲している。それまで人気の無かった曲も、彼が作曲する事で人気になった曲も。

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