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楽曲解説 -マ行-

 邦楽の様々な楽曲の由来や解説などを知り、より演奏を楽しむ為の考察です。

紫鈴法曲(ムラサキレイホウノキョク)/
紫野鈴慕(ムラサキノレイボ)/
紫乃曲(ムラサキノキョク)

 尺八古典本曲、別名に紫鈴法(ムラサキレイホウ)や紫野鈴慕(ムラサキノレイボ)、紫乃曲(ムラサキノキョク)など、道曲では紫所伝(ムラサキショデン)とも。鈴慕の一種。頓知で有名な京都紫野大徳寺の一休宗純禅師が作曲したとの逸話がある。
 一休禅師が作曲したかどうかの真偽は定かではないが、一休禅師の漢詩集「狂雲集」には尺八・一節切を題材にされたものも多く見られ、一休禅師が好んで尺八や一節切を吹いていた事がうかがい知れる。一節切曲のなごりがあるが、一節切曲の譜にはこの曲は残っていない。一休は、吸江庵に住んでいた尺八の祖ともいわれる郎庵とも親交があった。
 伝え聞くところによれば、吹奏者によって曲名が異なるという(住職→鈴法、虚無僧→鈴慕、その他→恋慕)と名称が変るらしく、鈴慕とも鈴法とも表記されるのは、このためだと思われる。
 曲相は、古典本曲の中にあってもかなりシンプルなもので、朴訥とした中に朗らかな風情を感じさせる。一節切の曲風を感じさせる曲である。

【一休禅師作の尺八・普化に関する歌詩】
・尺八は一夜ばかり(一節切)と思いしが 幾夜か老いの友となりぬる

・なかなかに我に如(し)かざる人よりも ただ尺八の友ぞ声なる

・題「尺八」
一枝尺八恨難任 吹入胡茄塞上吟 十字街頭誰氏曲 小林門下絶知音
訳:一枝の尺八恨みたえ難し 吹いて胡茄塞上(こかさいじょう)の吟に入る
十字街頭 誰が氏の曲ぞ 小林門下 知音を絶す

・題「賛普化」
徳山臨済奈同行 街市風顛群衆驚 坐脱立亡多敗欠 和鳴陰々宝鈴声
訳:徳山臨済 同行をいかん 街市の風顛(ふうてん)に群衆驚く
坐脱立亡(ざだつりゅうぼう) 敗欠(はいけつ)多し
和鳴陰々(わめい、いんいん)たり 宝鈴(ほうれい)の声

一休宗純(イッキュウソウジュン)=1394~1481年、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧。
 説法話が有名だが、その人物像はかなり捻くれた奇人として知られ、仏教で禁じられている飲酒・肉食・男色・女色などを行なっていた破戒僧。しかし、それら奇抜な行動は中国の禅思想である風狂の精神の体言ではないかと考えられている。出自は不明だが、後小松天皇の落胤とする説が有力視されている。
 芸術人としても知られ、書画墨蹟や多くの詩集を残し、後の多くの文化人に影響を与えた。その中には、茶道の祖とも云うべき村田珠光(ムラタジュコウ)や東山文化を支えた同胞衆(どうぼうしゅう、観阿弥や世阿弥などの足利義政おかかえの芸能集団)など。宇治吸江庵の朗庵とも尺八を通じて交流があったとされる。


参考音源:紫鈴法(使用管:地無し一尺八寸 幻海作)

【尺八に関係のある大徳寺の高僧】

大綱宗彦(だいこうそうげん)=
大徳寺435世で江戸時代後期の僧。安永元年(1772)~安政7年(1860)
歌や書画、茶の湯などの芸能にも堪能であったといい、尺八に関する詩も歌っており、おそらくその人が吹いたとされる「千鳥」という銘の尺八も残っている。

・尺八竹(ふえたけ)の 声の主を 訪ねれば 地水火風の 次第(四大)なりけり
・都人 あはれとは夜を 鴨川に 友無し千鳥 一人啼くなり

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