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楽曲解説 -マ行-

 邦楽の様々な楽曲の由来や解説などを知り、より演奏を楽しむ為の考察です。

宮城鈴慕(ミヤギレイボ・ミヤギノレイボ)/
宮城野鈴慕(ミヤギノレイボ)/
松巌軒鈴慕(ショウガンケンレイボ)

 尺八古典本曲、奥州系の鈴慕。根笹派錦風流の別伝鈴慕の一種。伝承系統によって若干の曲相と名称が異なる。陸奥国仙台地方の虚無僧寺で吹かれていた鈴慕だと考えられる。
 別名、小野寺源吉伝の鈴慕、宮城鈴慕、宮城野鈴慕、布袋軒鈴慕、奥州鈴慕、臥龍軒伝の鈴慕(高橋空山伝)、金成(城)寺伝の鈴慕(折登如月伝)、明暗鈴慕、倭鈴慕(佐野東界伝)、仙台鈴慕などと呼ぶ場合もある。
 後に神如道(ジンニョドウ)が、小野寺源吉伝と小梨錦水(コナシキンスイ)伝の鈴慕を区別する為、松巌軒鈴慕(ショウガンケンレイボ)と改名した。

 曲相は、「竹調べ-本手(滝落、鈴慕)-高音-高音返し-鉢返し(本曲)-結び」の六部構成。曲全体で、奥州地方の特徴的なユリ奏法である底ユリ(通常のユリとは異なり、首振りではない。通奏低音のような効果がある)をおこなう。
 九州地方の男性的な吹き方に対して、女性的な鈴慕、女鈴慕などとも呼ばれ、雪深い地方の独特な情緒と深い精神性の感じられる曲。雪を踏みしめて歩くかの如くの趣がある。チ~ウの指使いと打ちが軽妙で人気がある。
 神如道によって人気を博した松巌軒鈴慕は手などが洗練された観があるのに対して、錦風流伝のものは素朴な味わいがある。
 最近発見された錦風流の外曲譜(明治37年写筆)の中に宮城鈴慕とは別に今まで知られていない宮城清覧の楽譜が見られ、調べを前吹きとして吹くとの指定があることから、元来、宮城鈴慕の前吹きとして吹かれていた竹調べが、本来は独奏も可能な竹調べであることが解った。

 小野寺源吉(オノデラゲンキチ、1854年~1928年)は、宮城県出身の尺八の名人で金成寺の虚無僧として托鉢行脚をしている時に弘前市の根笹派錦風流・乳井月影(ニュウイゲツエイ)と交流を持った。小野寺源吉は、当地で錦風流を学び、その変わりにこの鈴慕と巣籠りを錦風流に伝えたといわれている。伝承は「長谷川東学(ハセガワトウガク)ー小野寺源吉ー折登如月(オリトニョゲツ)ー神如道」など。
 小梨錦水から布袋軒鈴慕を学んだ浦本浙潮は、樋口対山と宮川如山に伝えた際に宮城野鈴慕と改題したといわれ、さらに樋口対山は編曲して陸奥鈴慕を作ったとも云われている。
 松巌軒・布袋軒・金成寺・臥龍軒は、奥州十一ヶ寺組合に所属する虚無僧寺で、それぞれ現在の岩手県花巻・宮城県増田・宮城県金成町、山形県山形市にあった。

それぞれの伝承による名称は下記の通り

1)長谷川東学(布袋軒)-及川霍友(松巌軒)-岡崎明道伝=宮城鈴慕
2)小野寺源吉(金成寺)-折登如月(錦風流)-神如道=松巌軒鈴慕(宮城鈴慕)
3)長谷川東学(布袋軒)-小梨錦水-神如道=布袋軒鈴慕(奥州鈴慕)
4)長谷川東学(布袋軒)-小梨錦水-浦本浙潮=宮城野鈴慕

※名称と曲相の違いには、①伝承中の変化、②真行草の手の違いなどの説ある。

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