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尺八コラム 限界突破!

キノコ虚無僧 2018/11/1

 ある業界ではタケノコとキノコは不倶戴天と云わぬばかりの争いが起こっているという。
 私はこのような生業をしていることからも、根っからのタケノコ派ではあるのだが、キノコの変幻自在な姿形色艶にも面白さを感じている。ただ、世間的には「キノコ≒危険、もしくは毒」という認識があり、今までは私もそれに倣って自重し、その間、聖典「日本のきのこ (山溪カラー名鑑)」のページを空しく繰るのみであった。
 しかし、年を経るごとにどんどんと未知への知的好奇心は高まり(食欲に端を発することは秘密だ)、時には野山で遊び、キノコを見つけては聖典を開いてどんなキノコかを調べ、さらには他の書籍なども読み漁るようになってしまった。
 ただ、それもこれもこの記述を私に発見させるための必然であったのではないか、と今では思う。「○○○というキノコは、地方によってコムソウ・コモソウという呼び名がある」という一文を。

そのモノのたたずまいは、虚無僧

 そのキノコは、ハラタケ目フウセンタケ科フウセンタケ属のショウゲンジという。ショウゲンジは、「正源寺」「性賢寺」などと書くという。この名称の云われは、長野県飯田地方の方言といい、とある寺の僧が飢饉(天明の飢饉か?)のおりに食べ始め近隣の村の者にも勧めるようになったことに由来するという。『信陽菌譜(1799年)』にその名が見られることから、少なくともそれ以降、あるいはそれ以前からショウゲンジと呼ばれていたようである。
 傘は黄土色~黄土褐色で放射状の浅い皺をもち、径は5~15㎝ほど。傘裏のヒダは淡黄色の直生でやや密。柄の長さは6~15㎝ほどあり、つばがあるがもろく落ちることがある、また不完全なつぼがある。マツ林などの針葉樹林に生えるが、時に雑木林にも生える。というのが特徴。ちなみに上記にも記しているように食用で、雑キノコ(マツタケ以外のキノコを総じてこう呼ぶ)としては人気の部類。
 地方名(別名)には、ボウズタケ・ショウオンジ(愛知県豊田市周辺)やコムソウ(長野県・広島県)、コモソウ(長野県伊那市周辺~岐阜県岐阜市周辺)、ショウグンジ(信州周辺)、ショウゲンボウ(岡山県美作)、タイコノバチ(岐阜県飛騨高山周辺)など多数ある。
 コムソウ、コモソウの名前の由来は、黄土色の傘(天蓋)とツバ(着物の帯)と白装束の立ち姿が虚無僧に見える事からだという。とはいえ、どちらかというとそのキノコの姿は、深編笠(天蓋)の今日日の虚無僧のイメージというよりは、大きなお椀型の傘で江戸時代初期の虚無僧装束の部類のように思える。

※写真について、残念ながら今年は私の住む地域では発見できなかった。来年こそは頑張って探したいと思う。

面白い点

 そういった名称がある、と思うとそこまでのお話であるのだが、ここで面白いのは、コムソウ・コモソウの名称が用いられている地域にある。
 コムソウは長野県と広島県、コモソウは長野県伊那市周辺~岐阜県岐阜市周辺。その何れの地域にも虚無僧寺は無かったのである。
 托鉢地域として個別に考えると、広島県と岐阜県の一部は京都明暗寺、長野県は甲州乙黒明暗寺、岐阜県の一部と長野県の一部は浜松普大寺の可能性がある。ただ、浜松普大寺の場合、近郊の愛知県豊田市ではボウズタケやショウオンジと呼ばれているので、それほど虚無僧の影響がなかったのか?
 まぁ、食物なので、おおざっぱな名称であるだろうけども……。ショウゲンジというキノコが、何時ごろからコムソウ・コモソウが呼ばれていたのかも定かではない。

私の推理

 さて、ここからは私の推理である。
 コムソウ・コモソウと2通りの呼び方がある。この”ム”と”モ”の違いはただの訛りとも考えられるが、尺八史には虚無僧(普化宗の僧)と薦僧(菰を背負った芸者風の者で虚無僧の前身)の2つの言葉がある。なので、私はこのキノコのコムソウとコモソウの名称は別の意味、別の時期に付けられたのではないかと考える。
 まずコモソウ呼びであるが、その呼称地域を改めて見てみると長野県伊那市周辺~岐阜県岐阜市周辺となっている。この文字だけを見ると広大な地域で取り留めもなく見えてしまうが、少し視点を換えてみる。すると、それは中山道に沿っていることが解る。おそらく中山道を行ったり来たりする薦僧の旅一座がいたのだろう。インターネットやTVなどの情報源や娯楽の無い時代にとって地域外からの来訪者からの情報や芸は非常に重宝されたことだろう(大正・昭和初期までは、盲目の琵琶や三味線弾きのゴゼや農閑期の獅子舞など渡りの者が普通に存在した)。そういった人々の交流からいつの間にかキノコの名称がコモソウになった可能性はありそうなものである。もしかしたら同地域には、何か名称のきっかけとなった昔話(直接的に薦僧や芸者の話)などといったものがあるかもしれない。そう考えると、このキノコの姿形と薦僧に共通点があるように思え、この名称にもなるほど確かに、と思えるのである。薦僧がよく行脚していたと思われる時代、中山道が多く利用された時代を総合的に考えて、安土桃山時代後期~江戸時代初期(遅くとも1700年まで)にはこの名称が用いられるようになったのではないかと思う。
 次にコムソウ呼びである。京都明暗寺は1600年代には存在するが、虚無僧が隆盛(あるいは流行)し始める1680年以降と考える方が妥当だろう。コムソウ呼びの広島については、京都明暗寺の虚無僧が托鉢したことがその名前の由来だろう。京都明暗寺の30世院代・東獄永図(増子久経。1841年~)が福島二本松藩の出身であることから、この時期に伝聞したのかもしれない。あるいは東北・関東方面の虚無僧が九州福岡の一朝軒柳川の江月院に修行に行く道程で伝聞したのかもしれない(雑キノコの採集文化は東北・関東・中部地方に多い為。その為、逆に九州からの上りで伝聞した可能性は低い)。長野県周辺での呼称については、乙黒明暗寺の托鉢巡業の影響が可能性としてもっとも高い、が、あるいは浜松普大寺の可能性もある。とはいえ、浜松普大寺の虚無僧はわりと乱暴だったようなので(芥見村の留場争い)、そのような状況、端的に言えば嫌われ者の名称を用いるかどうかというのは疑問である。ともかく、虚無僧が隆盛し、広島・中部方面への托鉢の記録も多く残る1800年以降の時期に付けられたのではないかと考える。
 ショウゲンジについても、長野県の飯田地方にある松源寺という臨済宗のお寺とされているが、あるいは明暗寺の虚無僧がこのキノコを食べれることを伝え、「ミョウアンジ」が訛って「ショウゲンジ」になった可能性もあるかもしれない。

 と、上記なことを考えてみた。間接的にとはいえ、虚無僧の歴史やキノコの歴史が窺い知れる面白い名称だと思う。今後、さらなる史料や発見などが見つかることを祈る。

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