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楽曲解説 -サ行-

 邦楽の様々な楽曲の由来や解説などを知り、より演奏を楽しむ為の考察です。

俊寛(シュンカン)

 地歌筝曲。明治34年ごろに初世萩岡松韻(ハギオカショウイン)が作曲し、日下静子(クサカシズコ)が作詩した。内容は平家物語や世阿弥作の能「俊寛」を題材にしたもの。
 平安時代後期の平家隆盛の時代に、その平家転覆を企てた「鹿ヶ谷(ししがたに)の陰謀(※)」。しかし早々に露見し、鬼界ヶ島(きかいがしま、※場所は不明。硫黄島とも種子島周辺の薩南諸島の島とも云われている)に流罪となってしまう真言宗の僧・俊寛(俊寛僧都)。
 同じく流罪とされた2人の同胞と共に離島で過ごしていたが、その二人は建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ、高倉帝の中宮、平清盛の娘)の懐妊の吉事を持って恩赦され、帰京を許される。しかし、陰謀の首魁と視られた俊寛のみは島に一人残されることに…。その哀れと望郷の思いを詠ったものである。
 のちに島へ訪ねてきた俊寛の侍者(お付き)だった有王から娘の息災と手紙を受け取った俊寛は断食して自害し、有王は遺骨を拾って京へ連れ帰ったといわれている。
 この他に近松門左衛門作の人形浄瑠璃「平家女護島(へいけにょごのしま)」など同題のものが多数あり、題材として人気であったことが伺える。

※陰謀の真偽は不明。俊寛は有力者の一人として巻き込まれたとも。
※一説には、後白河院の勢力を削ぐ為の平家によるでっち上げ・疑獄事件とも。

鹿ヶ谷の 錦の帷(とばり) 破(や)れ果てて
紅葉散りしく 西の海
波荒(あら)ましき 海中(わたなか)に
星の光も 物凄き
島山蔭の 一つ庵(いお)
沖の千鳥は 暁の
夢路尋ねて 通うのみ
月も出にし ほのやをあいに
救世(ぐせい)の舟の 御迎ひ
受けてぞ開く 赦し文(ゆるしふみ)
恵の露の 玉櫛笥(たまくしげ)
二人の袖に かかれども
洩れしは如何に 己が目の
曇りやすると 疑いの
雲払へども 払へども
礼紙(らいし)に うつる影もなし
思ひ出づれば 昔都にありし時
雲にそびゆる 法勝寺
甍(いらか)を列べ 棟を競い
園の草木の 花の色
咲き栄えけん その栄華も
夢とし覚めて この離れ島
罪も等しき 罪なれば
配所も同じ 沖つ島
共に憂ひを 分ちしを
我のみ一人 荒磯に
友なし千鳥 妬(ね)をぞ啼く
都までとは 願はねど
哀れ密かに この身をば
心尽しの 岸にだに
送り給へと ひたすらに
恨みこへども 甲斐(かい、櫂)ぞなき
思ひを積みて 行く舟は
涙にくれて 見えわかず
心に響く 舵の音
磯端(いそわ)に狂う 波の声
余りの事に こは夢か
夢かあらぬか 現(うつつ)かと
現なき 僧都(そうず)のさまこそ 哀れなれ

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